2015.8.21

『オニ文化コラム』Vol,5

 
山崎 敬子
コラムニスト
玉川大学芸術楽部講師

今回は地獄におちた鬼のお話をば。
江戸時代初期に花開いた元禄文化の第一人・井原西鶴は『世間胸算用』(元禄5年1692)に、こう記しています。

 「されば熊野びくにが、身の一大事の地ごく極楽の絵図を拝ませ、又は息の根のつづくほどはやりうたをうたひ、勧進をすれども、腰にさしたる一舛びしやくに一盃はもらひかねける」

 中世から近世にかけて、熊野比丘尼(歌比丘尼とも)と呼ばれた女性たちが庶民対象に行っていた「地獄絵解き」という語りの芸能がありました。彼女たちが説く素材は『熊野歓心十界曼荼羅』と呼ばれる地獄極楽の絵画。地獄・・・浄土信仰とも言いますが、平安時代の天台宗の僧侶源信『往生要集』(寛和元年985)などが有名です。
彼女らの絵解きには、『往生要集』や平安末期以降広く浸透した『地蔵菩薩発心因縁十王経』などに存在しない地獄も登場します。そのひとつが「女性が落ちる地獄」です。

 女性が落ちる地獄は3つ。「血の池地獄」「両婦(ふため)地獄」「不産女(うまずめ)地獄」です。不産女地獄は子供を産めない女性が落ちる地獄。近世は「家を残す」ことが非常に大切だったため説かれた地獄でしょう。一方、血の池・両婦地獄。前者は出産や生理などによる血の不浄で落ちる地獄、後者は1人の男性を2人の女性が取りあう…嫉妬で落ちる地獄です(なお、血の池地獄は『血盆経』に登場します)。

 この血の池や両婦地獄に落ちている女性の顔は女性の顔をしていません。角がはえた般若の顔、鬼女です。そして体は蛇です。なぜこのような表現になったのでしょう。少し妄想してみますと「安珍清姫」伝説が影響しているかもしれません。能「道成寺」歌舞伎「娘道成寺」の元ネタとなった伝説です。清姫の想いを拒絶した修行僧安珍は追いかけてくる清姫から逃げ道成寺の鐘の中に隠れますが、情念のあまり蛇体と化した清姫はその鐘に巻き付き燃やし尽くします(「道成寺縁起」より)。『今昔物語集』(平安末期)にも取り上げられている有名な伝説です。縁起では、変化した清姫の姿は地獄に落ちた女性と同じ姿をしております。そんな鬼女の姿を女たちが語りついできたのです。彼女らはある意味、悲しい鬼かもしれませんね。

山崎 敬子 / Yamazaki keiko

玉川大学 芸術学部講師
早稲田大学メディア文化研究所 招聘研究員
小田原のまちづくり会社「合同会社まち元気小田原」業務推進課長


民俗芸能しいては日本文化の活性を目指し中心市街地活性化事業に取り組んでいる。
元広告業界専門新聞編集長であったことから日本ペンクラブに所属。
現在、広報委員・獄中作家委員などに名を連ね活動している。
(社)鬼ごっこ協会会報などでコラムを担当
所属学会:民俗芸能学会・藝能学会・日本民俗芸能協会ほか